Friday, March 21, 2025

感情の迷路:Facebookが操った気分の一週間(2014)

感情の迷路:Facebookが操った気分の一週間(2014)

2014年Facebookが発表したある研究論文が世界中に波紋を広げた。米国科学アカデミー紀要(PNAS)に掲載されたこの論文は、「Experimental evidence of massive-scale emotional contagion through social networks(ソーシャルネットワークを通じた大規模な感情感染の実験的証拠)」と題され、私たちの感情がSNSを通じていかに影響を受けるかを示す実験結果を記していた。対象となったのはFacebook上の約70万人のユーザーであり、そのうちの誰一人として自分が社会実験の一部であるとは知らされていなかった。

実験の期間は2012年1月11日から18日までの1週間。このあいだFacebookは対象ユーザーのニュースフィードに表示される投稿を操作した。アルゴリズムによって、あるユーザーにはポジティブな言葉を多く含む投稿が、別のユーザーにはネガティブな投稿が目立つように調整された。こうして、ユーザーが受け取る感情の「空気」を意図的に変化させたのである。その結果ポジティブな投稿を多く目にした人は、自分自身の投稿も明るくなり、ネガティブな投稿を多く見せられた人は、より暗いトーンの言葉を選ぶ傾向が強まった。SNSの情報が人の気分や言葉選びに直接影響を与える——それがこの実験の核心だった。

しかし科学的発見の陰には倫理の深い闇が潜んでいた。最大の問題とされたのがインフォームド・コンセント、つまり実験に関する事前の説明と同意の欠如である。心理学や社会科学の分野では、「インフォームド・コンセント(十分な説明と自発的な同意)」が研究倫理の柱とされている。この原則を無視し、ユーザーに何も知らせずに感情を操作する行為は、多くの研究者や一般市民から強い批判を受けた。Facebookの利用規約には「情報が研究に使われる可能性がある」との記述があったが、それを根拠に数十万人の気分に介入するのは、あまりに乱暴であると受け止められた。

またこのような操作によって、精神的に不安定なユーザーに悪影響を与える可能性もあった。たとえば抑うつ傾向をもつ人がネガティブな投稿ばかりを目にした場合、精神状態がさらに悪化する危険性があったにもかかわらず、研究の中ではそのリスクはほとんど顧みられていない。加えてこの実験には本来なら倫理審査委員会(IRB)の厳格な審査が必要だったはずだが、Facebook内部の判断で実施され、大学側の倫理審査は事後的であり、形式的だったとの批判もある。

この事件はまたFacebookという巨大なプラットフォームが、ユーザーの気分や行動を無意識のうちに制御できるという事実を明るみに出した。ユーザーが自分のタイムラインを自由な情報の流れだと信じていた裏で、アルゴリズムによって表示される内容は綿密に調整され、その気分までもが「設計」されていたのである。SNSが単なる交流の場から、心理操作の場へと変質していく兆しを、この実験は象徴していた。

もちろん実験を擁護する声も少なくなかった。Facebook側は「実験の影響はごく小さく、平均して1投稿未満の変化しかなかった」と説明し、また「ニュースフィードの調整は常時行われていることであり、今回の操作もその一環である」と主張した。しかしここで問題とされたのは操作の大きさではなく、操作の目的と意図であった。商業的最適化のためのアルゴリズムとは異なり、今回は人間の感情を対象にした「社会実験」だった。それをユーザーの知らぬ間に行うことの倫理的重みは、いかに小さな変化であっても免れ得ない。

この事件をきっかけに、SNSを通じた実験研究の在り方、企業と学術機関との関係、そしてデジタル社会における倫理とプライバシーが広く議論されるようになった。大学では企業との共同研究に対する倫理審査が厳しくなり、SNS企業にはユーザーへの説明責任や透明性が一層求められるようになった。感情は確かに伝播する。しかし、それが誰かの設計によって誘導されるとき、私たちの「自由な表現」や「自然な感情」はどこまで守られているのだろうか。

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