Friday, October 3, 2025

街頭に立て 大衆文学の旗手たち 1925年から1927年

街頭に立て 大衆文学の旗手たち 1925年から1927年

大正末から昭和初期、日本の都市は、第一次世界大戦後の不況と1923年の関東大震災の余波に揺れていました。混乱と不安のただ中で、人々は現実に根差した「読み物」を渇望し、週刊誌や新聞の連載小説が時代の鼓動を伝える装置になります。白井喬二の「新撰組」は震災後の読者を惹きつけ、巻頭連載で復興期の大衆の気分を掴みました。

そうした地鳴りの上に、1925年秋、白井は同世代の書き手たちを呼びかけて「二十一日会(廿一日会)」を立ち上げます。そこで掲げられた合言葉は、「大衆作家よ、街頭に立て。社会の実際にふれて行動せよ」。机上の理想から一歩外へ出て、庶民の生活感情を丸ごと文学に引き入れようという挑発でした。会の成立(1925年)と翌年の機関誌『大衆文芸』創刊(1926年)は、その意思表明そのものです。

集った顔ぶれは多彩でした。時代小説の長谷川伸、探偵小説の江戸川乱歩や小酒井不木、国枝史郎、正木不如丘、平山蘆江、矢田挿雲、土師清二、そして直木三十五ら。ジャンル横断の議論が重なり、会合はしばしば「読み物」論と「運動」論の往復運動となります。通俗と見なす冷笑も浴びながら、彼らは語り合い、互いの作風を刺激し合って大衆文学の地平を押し広げていきました。

『大衆文芸』の誌面は、その討議の延長でした。現実の労苦、娯楽、欲望、笑いと涙——街頭の温度に合わせて書き方を変えるべしという急先鋒の主張は、当時の「純文学」的規範と正面衝突します。だが震災後の読者が望んだのは、難解な観念ではなく、日々を生き抜くための昂揚とカタルシスでした。白井の檄は「通俗化」ではなく「読者の獲得」を目的化した編集思想であり、文学の受け手をインテリ層から都市の大衆へ広げる試みだったのです。

この潮流が本格化するのが、平凡社の大企画『現代大衆文学全集』です。1927年に配本が始まり、正続あわせて全60巻という巨艦となったこのシリーズは、いわゆる「円本」ブームの中心に位置づけられました。各巻およそ千ページ級で価格は一円——当時の庶民でも手が届く設定で、読書を日用品に変える価格革命でした。平凡社自身も「全60巻刊行」と社史に刻み、円本時代の牽引役を自認します。

本ファイルの記述では、この全集は「千頁一円」という大勝負ながら購読予約者が二十五万人に達し、文学と無縁だった幾十万の庶民を「大衆」へと引き上げたと回想されます。数字の大小は資料で振れ幅があるにせよ、円本が大衆の読書欲を爆発的に可視化した事実は動きません。編集・販売の現場に白井たちが深く関与し、印税が作家の生活と創作環境を一変させたという同時代証言も複数に見えます。

総じて言えば、「二十一日会」から『大衆文芸』、そして『現代大衆文学全集』へ——この連続は、作品論を超えて「読者をどうつくるか」という出版文化史の実験でした。震災後の社会不安と都市の拡大、流通の革新が重なり、文学はサロンの装飾から街頭の必需品へと相貌を変える。白井喬二と仲間たちの会話は、その転換を推進するための現場の思考であり、同時に「文学は誰のものか」という問いへの、実践的な答えでもあったのです。

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