地球を喪う時代 人類七〇年の資源と問い 1950-2020年代
産業文明は、石炭の煙と鉄の轟音を背に、資源を貪欲に掘り起こしながら繁栄を築いた。しかし、その繁栄の影には、自然を搾取し、奪い、改変してきた歴史がある。カール・Karl Marxが『資本論』で指摘したように、資本が自然からの収奪を通じて価値を生み出し、労働とともに自然が余剰価値の源泉として組み込まれてきた構図は、まさにこの環境破壊の根底をなしている。つまり、自然は単なる背景ではなく、搾取の対象として「資本の構成要素」になっていたのだ。
その結果、地球規模の温暖化が進行し、生態系の網は裂け、種の消失や海洋の酸性化は日常のニュースになった。国家の枠を超え、ゴムの木、石油、鉱石や森林が消費されるごとに、人間のつくった機械と工場は夜明けの光のように広がり続けた。だが、その陰で、気候が戻らず、氷が溶け、農地が荒れ、都市が水没の告白を迫られた。
協力の呼びかけは世界中から響いた。国連の会議、気候変動条約、持続可能な開発目標 (SDGs) が掲げられた。しかし、富む国が過去に出し尽くした二酸化炭素のツケと、成長を求める途上国の飢えとが交錯し、国家主権と経済利益が壁となった。人間は資源を追い、力を欲し、しかし「なにを望むのか」を明らかにしなかった。だからこそ、グローバルな地球協奏曲はまだきちんと始まっていない。
資本と自然の密接な結びつき、力の追求と破壊の連鎖、そして協力の理想と現実の狭間。人類はこの時代に問われている。資源を汲み、自然を切り、文明を拡げてきた先に、何を残すのかを。地球を喪うことなく、未来を描けるかを。
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