中上健次の物語が生まれた土の記憶――路地と語りのうねりが揺れた時代(1970年代から1980年代)
中上健次(1946から1992)を語るには、彼が生き、書いた「土地」と「時代」を切り離すことはできない。彼の文学は和歌山・新宮の被差別部落を中心とする路地の世界に深く根ざしており、それは高度経済成長が生んだ均質化の波に抗うように、土地の記憶と共同体の痕跡を掘り起こす営みだった。1970年代の日本は都市化が加速し、農村共同体は崩壊し、若者は生活の基盤ごと都市に吸い寄せられていった。テレビや消費文化が全国を覆い、地域差が急速に薄れていく時代において、中上はローカルを徹底的に掘り下げることで逆に普遍に届こうとした。
彼の文体は典雅な文語とも新聞的な口語とも違う生命のざわめきをはらむ長い呼吸を持ち、語り手の意識が土地の記憶へ沈み込み再び浮き上がり、人物の声や過去の亡霊が絡み合っていく。その渦の中心にあるのが血と場所であり、個人の運命が必ず土地の力、家族の歴史、地域共同体の影に引き戻される構造が中上文学の核心にある。これは戦後文学の中で故郷喪失が進む時代への強い反発でもあった。
1970年代から80年代の文壇は政治的闘争の熱が冷め、個人の感覚や軽さを重視する文体が広がり始め、村上春樹に代表される都市型の透明な文体が台頭した。一方中上はその潮流とは真逆の場所に立ち、濃密で土臭く呪術的なまでに土地に縛られた物語を紡ぐことで、失われつつあった地域の声を文学の中心に引き戻そうとした。地方の衰退、共同体の分解、都市部の匿名性が進む中で、彼の描いた路地は社会が見過ごそうとした歴史の傷と生きられなかった人びとの声を拾い上げる場所となった。
中上健次をめぐる文体論土地論は1970年代から80年代の日本が抱えた文化的断層を読み解く鍵となり、彼の語りは都市化と均質化の波に押し流される日本社会の中でなお土地が叫び過去が呼吸していることを知らせる鋭い証言であった。
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