江藤淳という刃――俳句と和歌が交錯した季節(1970年代から1990年代)
江藤淳の「君の批評文は和歌で書かれている」「批評というのは俳句でなければいけないんだ」という言葉は、戦後日本の批評が抱えてきた緊張を象徴している。江藤は漱石論で頭角を現し、戦後国家や知識人の姿勢を鋭く批評した人物で、その文章は情緒を排し、対象を瞬時に捉える構造をもっていた。俳句にたとえる比喩は、短い言葉に世界を凝縮する批評の理想を示している。当時、社会は高度成長の熱を失い、アングラ文化や消費社会の成熟を背景に、文学も個人の感覚を重視する表現へ移行していた。批評にも気分や体温を帯びた文体が広がり、和歌的な抒情性が自然と流れ込む時代だった。江藤が和歌と断じたのは、その抒情への皮肉であり、批評は情に流されず対象を斬るべきものだという信念からである。だが晩年の
作品には、江藤自身の喪失や感情の揺れも刻まれており、削る批評家の内側に抱えた矛盾も見える。俳句と和歌をめぐるこの短い会話には、文体を超えて、生き方そのものを問う戦後批評の核心が凝縮されている。
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