Thursday, May 1, 2025

「闇に消された声 ― 金大中事件と1970年代日韓政治の舞台裏」

「闇に消された声 ― 金大中事件と1970年代日韓政治の舞台裏」

1973年8月、東京・九段下のホテルから韓国の野党政治家・金大中(キム・デジュン)が突如失踪し、後に韓国中央情報部(KCIA)による拉致であることが判明した「金大中事件」は、日本と韓国そして米国の関係を大きく揺るがす国際的スキャンダルとなった。

事件当時、金大中は韓国の民主化を主張する反体制の政治家で、朴正煕(パク・チョンヒ)政権にとっては最も危険な存在だった。彼は日本に亡命しており、その身柄を公然と東京の地で拉致するという行為は、主権侵害の極みであった。しかし、この明白な国際法違反に対し、日本政府の対応は異様なまでに鈍く、曖昧なままに封じられた。

文中では、当時の内閣(田中角栄政権)と自民党が、KCIAや韓国政権との裏取引を黙認したとされる日本政府の消極姿勢が、あからさまに批判されている。さらに、事件に関して「中曽根康弘が深く関わっていた可能性がある」と暗に示唆されており、政界における対韓協調路線の暗部が暴かれている。

また、マスコミの姿勢にも筆鋭な指摘が加えられており、「日韓関係の波風を立てたくない」として報道が抑制され、真相が国民に届かなかった点が問われている。新聞各紙やテレビ局の大半が、韓国政府の言い分をそのまま垂れ流し、事実を掘り下げようとしなかったことで、「報道機関の独立性とは何か」という根本問題が露呈した。

このような事件が起こった背景には、1970年代前半の冷戦構造の下での極東安保体制がある。朴正煕政権は米国の庇護下で反共の防波堤とされ、日本政府もまた、韓国との経済・安全保障協力を優先していた。民主主義や人権より、体制維持と経済利益が優先された時代だった。

しかし、この事件は後の韓国民主化の礎にもなった。金大中は命を救われた後、1980年代の軍事政権下でも抵抗を続け、最終的には1997年に大統領となる。彼の拉致と生還は、東アジアの政治的な人権意識を問う象徴的な出来事として、今なお語り継がれている。

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