「沈黙の活字、怒りの活字――光文社争議と70年代の影」- 1970年代前半
1970年代初頭日本経済は高度成長の終焉とオイルショックの予兆に揺れていた。そんな時代に東京・文京区の出版社光文社で発生した労働争議は経済成長の歪みを象徴する闘争として刻まれている。編集・製作部門を中心とする第一組合は過重労働や待遇への不満を背景に団結しストライキやピケッティングに立ち上がった。だが会社側は組合無力化を狙い第二組合を結成。さらに警備に暴力団住吉連合幸平一家の構成員を動員し取締役が争議対策請負人である事実まで露見した。
1970年代の日本企業が労働者の正当な主張を力で抑え込もうとした暗い構図がここにある。なかでも「二・四ピケ事件」は象徴的で組合員・吉川進吾が第二組合員を説得のために移動させた行為に「不法逮捕罪」が適用され刑事裁判で有罪となる。だがこの裁判は皮肉にも会社側の不当な争議潰しの手法を明るみに出す結果ともなった。民事では第一組合が勝訴し企業の不当労働行為が司法に認定された。
この争議は当時の司法が刑事では労働者に厳しく民事では一定の是認を与えるという二面性を示し日本の「可罰的違法性阻却論」をめぐる議論も呼び起こした。終わりなきこの争いは単なる出版社内部の対立ではなく企業と暴力司法と労働運動の交錯する歴史の断面であり今なおその余波は活字の行間に宿り続けている。
No comments:
Post a Comment