空虚はゼロではない 否定と無の誤解、そしてエントロピー 1900-2025
ベルクソンは、哲学が長らく抱えてきた「否定」や「無」という概念の扱いに根本的な誤りがあると指摘した。彼によれば、古代から近代に至る哲学は、「無とは何もないこと」「否定とはゼロに還元すること」として思考を組み立ててきたが、それは生命や時間、そして現実の流れの本質を見誤る根源となってきた。
たとえば、生命は分岐し、変化し、散らばっていく存在である。進化とは、可能性の展開であり、何かが「失われる」よりも「広がる」ことに近い。ここで重要なのは、エントロピーの概念である。物理学では、エントロピーとはシステムの乱雑さの指標であり、増大することで秩序が崩れ、エネルギーが使えなくなる方向へ進む。しかし、ベルクソンはこのエントロピーの流れを、単なる破壊や喪失ではなく、「形が変わり、可能性が増える」運動と見なした。つまり、否定や無はゼロではなく、別の形への移行や変換である。
哲学が「空虚」と呼んできたものは、実は「全体から切り取られた部分」であり、最初から無ではなかった。たとえば、幾何学的な空間、数学的なゼロ、論理学上の否定などは、すべて何らかの全体を前提にして成立している。ベルクソンにとって、世界は常に「時間の流れ」の中にある。だからこそ、"無に戻る"という発想そのものが現実から遊離している。時間とは不可逆であり、一度起きたことは消えることなく、蓄積され、折り重なり、形を変えて残っていく。
この考え方は、情報理論や複雑系の世界にもつながる。情報は増えるにつれてエントロピーも増すが、それは「意味の崩壊」ではなく、「多様性と関係性の増加」として捉えることができる。ベルクソンの哲学は、無や否定を単なる欠如ではなく、「生成のための余白」として読み替える可能性を示したのである。
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