Saturday, October 25, 2025

ピンポンの記憶――北杜夫と吉行淳之介の卓球対決(昭和二十年代)

ピンポンの記憶――北杜夫と吉行淳之介の卓球対決(昭和二十年代)

北杜夫は高校時代、卓球部のキャプテンを務めていた。戦後の混乱がまだ濃く残り、部費は乏しく統一ユニフォームもない。そんな中、彼は「裸をユニフォームにすれば敵の肝をつぶせる」と真顔で提案する。規則には裸を禁止する文言はない。肌そのものを"色"と見なせばよいという発想だったが、痩せた部員が猛反対し、結局は廃案になった。貧しさも不自由も笑いに変えてしまう北らしい、若者の反骨と茶目っ気の混ざった出来事であった。

卓球の腕前は確かで、インターハイでは三回戦、四回戦と勝ち進み、最終的にはベスト二十にまで到達したという。負ければ悔しがり、勝てば密かに誇りをにじませる、そのまっすぐな姿勢は後の文学活動にもつながる強さを感じさせる。

やがて作家仲間となる吉行淳之介と伊豆の旅館に泊まった夜のこと。二人は卓球台を挟んで勝負をすることになり、結果は北の勝利だった。彼は「はっきり言って私が勝った」と少し誇らしげに語る。しかし吉行は「あの時は体調が最低だった。普通なら絶対に勝てる」と言っていたらしい。文学では丁々発止の対等な関係でも、ピンポンだけは譲らないという、どこか可笑しく愛すべき意地の張り合いである。

二人は戦中派であり、青春は厳しい時代の影に覆われていた。それゆえ戦後の自由な空気の中で、仲間と笑いながら競い合うことは大きな喜びであった。卓球は、全力で打ち合いながらも相手を憎まず、誇りをかけながらも互いを茶化すことのできる遊戯だった。文学の権威から距離を置き、自分たちを笑いの対象にしてみせる。これこそが、彼らの世代が手にした「戦後の軽さ」だったのだろう。

北は今も、自信満々に語る。「卓球だけは、絶対に負けない」。その言葉には、ただの自慢以上に、仲間との自由な競争が許された時代への愛惜がにじむ。軽やかに弾むピンポン玉の音に、彼らは青春の続きを聴いていたのである。

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