公共事業から農への転身――2000年代半ばの「帰農」現象と北海道の風土
2000年代半ば、日本の地方建設業界はかつてない転機を迎えていた。バブル経済崩壊後も続いた公共投資に依存してきた地方の建設業界は、小泉政権下で加速する「構造改革」――すなわち公共事業の大幅削減政策の直撃を受け、急速に縮小へと追い込まれていた。特に北海道や東北、日本海側の地域では、公共投資が地域経済の生命線であったため、その影響は極めて深刻だった。
このような背景のもと、地域社会で注目され始めたのが「農業への転身」、いわゆる"帰農"現象である。過疎と高齢化が進み、農業の担い手不足が深刻化する一方で、建設業界には機械操作に長けた技術者と遊休化した重機が余っていた。このミスマッチを埋めるように、建設業から農業への参入――それも兼業ではなく、本格的な事業化としての参入が現れ始めたのである。
とりわけ北海道では、この動きが顕著だった。広大な農地と高い機械化率、そして農家の高齢化という条件がそろい、建設会社が農作業を「コントラクター(請負)」として引き受ける事業モデルが自然と定着していった。もともと建設機械の操縦や資材の管理に慣れた人材が多く、農業機械への転用もスムーズだった。また、北海道では単なる作物生産にとどまらず、観光農園や農産物加工、レストラン経営といった「六次産業化」への道も模索されており、これが建設業の経営多角化とも相性がよかった。
国の側もこの動きを後押しした。農地の取得や貸借をめぐる規制を一部緩和し、「農業生産法人」制度や「構造改革特区」などの制度が建設業の参入を可能にした。建設会社が施設栽培や農作業の受託を手掛ける事例は、2007年の時点で全国に数百件を超えていたとされる。
この帰農現象は単なる経済的な生き残り策ではなかった。地方に根ざす建設会社が、農業を通じて地域社会と再接続し、持続可能な地域経済の担い手として新たなアイデンティティを模索し始めた動きでもあった。
2000年代後半、公共投資から環境・農業・再生可能エネルギーなどへの転換が求められる中、この現象は「地域の再生」と「雇用の再構築」の象徴として注目されたのである。
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