Tuesday, July 29, 2025

被官さま参りと水商売の哀歓――昭和46年12月

被官さま参りと水商売の哀歓――昭和46年12月

昭和46年の東京、特に浅草界隈には、戦後の混乱を経た都市の哀愁と、下町の濃密な人情がまだ色濃く残っていた。人々の信仰もまた、制度や教義に従うというより、生活と密接に結びついた素朴なものであり、特に水商売の人々にとって神仏は最後の頼みであった。浅草寺の観音堂に参る人は多いが、その右脇にひっそりと佇む「被官稲荷」を訪れる者は少ない。この稲荷は、吉原や芸者、役者といった、水と芸に生きる人々に信仰されてきた。

境内の石垣には遊郭の屋号や芸者の名が刻まれ、石の鳥居には侠客・新門辰五郎の名がある。辰五郎は浅草の大親分で、浅草の芝居小屋を常設にした立役者でもある。鳥居は、彼の妻が狐憑きになり、それが治ったお礼として奉納されたという。このように、被官稲荷は都市下層の信仰と文化の縮図であった。

筆者は無神論者でありながら、この小さな社に手を合わせる姿に惹かれ、自らも参るようになったという。水商売の人間として、未来の保証がなく、一寸先は闇という生き方の中で、せめて神にすがるしかないという心理が語られる。夜の浅草で、灯籠の陰にうずくまる男、石段に座る街娼、そしてそれを眺めながら彷徨う自分の青春の日々。こうした情景が、浅草という場所の時間の堆積を感じさせる。

昭和46年当時は、高度経済成長期の終盤であり、都市は近代化の波に洗われつつも、周縁に生きる人々の暮らしはそれほど変わっていなかった。行政や制度からこぼれ落ちた者たちの営みが、このような小さな神社の周囲に凝縮されていた。筆者にとっての「被官さま参り」は、現実逃避でも理想主義でもなく、生活の中の精気をつなぎとめるための、切実な営みだったのである。

No comments:

Post a Comment