Tuesday, August 26, 2025

西野流の呼吸法について少し考察したいと思います。

西野流の呼吸法について少し考察したいと思います。
実際にこの呼吸法を始めてから20年以上が経ち、西野先生との交流や体験もあるので、その経験をもとに考えてみたいと思います。
最近、ベルグソンという哲学者の本を読む機会があったのですが、西野先生の教えとベルグソンの哲学には共通点があると感じました。
ベルグソンは、人間の脳を常識的に言われるほど重視していないという点で、西野先生と共通しています。
ベルグソンは「脳は何も生み出さない」と言っていますが、西野先生も「頭脳内に縛られた人は良くない」としばしば言及しています。
脳はフィルターの役割を果たすだけで、何かを生み出すわけではありません。
西野流の言葉でいうと、脳が芸術的なものを生み出すのではなく、もっと形而上的なものが関与していると考えられます。
ベルグソンも同様に、脳に対して神秘的な力を持っているとは言っていません。
西野先生の著作を見ると、脳がすごいという風潮に対して批判を加えているので、その点でベルグソンと通じるものがあります。
頭で考えて理解することができるかというと、そうではないというのが西野先生の主張です。
もっと言えば、気というものは測定が非常にしにくいということです。
西野先生は晩年にマウスに気を注入する実験を行っていましたが、注入された後のマウスの状態は測定できても、気そのものを測定しているわけではありません。
哲学的に考えれば、これは当然かもしれません。
ベルグソンも、記憶や進化は数学的に記述できないと言っています。
これらは時間軸上に展開されるもので、空間軸には展開されないのです。
数学的な点や線で気を捉えることができるかというと、それも難しいでしょう。
人間の記憶や進化が数学で記述できないのと同様に、気も空間上に展開されないのです。
形而上的な観点から言えば、気は確かに存在すると言えると思います。
ベルグソンも、記憶や進化を「持続」と表現していますが、確かに存在すると言っています。
気も存在するのですが、空間に展開されないため、缶詰に入れて保存することは不可能です。
ゲーデルの不完全性定理を見てみると、数学的に証明できないが存在する命題があるという逆説的な証明があります。
集合論の分野では、加算できない無限が存在することが証明されています。
これも同様に、数学的な操作ができないけれど存在するものがあるということです。
気もその一種だと思います。
脳や知性で捉えようとすると、それはほぼ不可能であり、西野先生が言っていたことは当然だと言えます。
頭脳に囚われている限り、気を捉えることはできないのです。
一応、頭脳についての考察として、以上のことを述べてみました。
西野流の呼吸法と哲学的な観点から見ると、気の存在やその捉え方についての理解が深まるのではないかと思います。

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