**廃棄物処理の王座と綱渡りの時代 1990年代後半〜2000年前後**
最終処分場のオーナーになることは、当時の産業廃棄物業界において究極の夢とされた。ダンプ一台から始め、巨大処分場を手にした者は立志伝中と讃えられ、「王者」と呼ばれた。しかしその実態は安泰とは程遠い。建設には数十億から百億円規模の投資、土地買収や地元対策、行政協議、さらに閉鎖後の長期管理や環境事故賠償など重い負担が伴った。背景には高度経済成長期からバブル期に増加した廃棄物がバブル崩壊後も減らず、処分場不足が深刻化した現実がある。1991年の廃棄物処理法改正以降、規制強化と住民反対運動が相まって新規許可は極端に難しくなった。この時代、安定型、管理型、遮断型の分類が確立され、遮水シートや浸出水処理設備、観測井戸などの技術が導入され建設費は高騰した。一方で安定型は低�
�ストで建設可能なため小規模業者にも活路があった。1999年の青森・岩手県境不法投棄事件は世間を揺るがし、許可処分場も不法投棄現場と変わらぬ例が問題視された。規制と慣行がせめぎ合う中、業界は環境負荷低減技術の模索を続け、王座は光と影を併せ持つ象徴であり続けた。
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