Sunday, November 16, 2025

地下に残された産業の影 周東町が語る地中の時間(1993年)

地下に残された産業の影 周東町が語る地中の時間(1993年)

山口県周東町で記録されたテトラクロロエチレン七千三百一倍という数字は、単なる異常値ではなく、昭和から平成へと続く日本の産業史と環境行政の時間差が一点に凝縮して現れたものであった。周東町は田畑が広がる農業地帯でありながら、その周辺には金属加工や木工、化学系の中小工場が集まる工業エリアが形成されていた。平成三年度の山口県の調査では、九十九地点の井戸水のうち周東町内の飲用井戸から評価基準値を大きく上回るテトラクロロエチレンとトリクロロエチレンが検出されており、その実態はすでに地域に深く根を下ろしていた。

規制が整う以前、テトラクロロエチレンの取り扱いは今日の基準から見れば驚くほど緩やかで、屋外タンクでの保管、こぼれた溶剤の地面への浸透、廃液の素堀り槽処理などが当たり前のように行われていた。周東町周辺の地質は谷状地形と砂礫層が入り組み、地下水脈が偏在する特徴を持つため、揮発性有機塩素化合物が一点に濃縮されやすい条件が重なっていた可能性が高い。環境省の資料には、下久原地区の井戸で環境基準の七三〇〇倍、約二二〇ミリグラム毎リットルに達した事例が記録され、汚染源とみられる事業所周辺の等濃度汚染地図や聞き取り調査の記録が残されている。

昭和の終わりから平成初頭にかけて環境意識が全国的に高まり、水質汚濁防止法の改正とともに揮発性有機化合物が本格的に規制対象となると、従来見過ごされてきた地下水汚染が各地で一斉に可視化された。周東町の七千倍超という濃度もその流れの中で明るみに出たもので、地方工業地帯が抱えていた規制前の慣行が、時間差を経て環境問題として突き刺さるように現れた象徴であった。調査後は飲用中止の指導が行われ、上水道切り替えや井戸のモニタリングが続けられた。その後、周東町は岩国市の一部となり、現在の水質試験年報ではテトラクロロエチレンの検出は認められず、良好な水質が維持されている。

周東町の井戸に立ち上がった数字は、産業の影がどれほど深く土地に沈み込み、別の時代に別の姿で現れるかを私たちに示している。地下に沈めたつもりのものは決して消えない。それは地層の中でゆっくりと移動し、より濃縮された時間の記録として未来に押し返されるのである。

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