外にある知覚 内に沈む感覚 ベルクソン「物質と記憶」
ベルクソンがまず整理しようとするのは「私たちは何をどこで感じているのか」という素朴だが厄介な問いである。知覚は外界の広がりそのものであり、私たちは世界の像を頭の中で作るのではなく、身体というイマージュを通して外の広がりに直接触れているとされる。それに対し痛みや息苦しさのような感覚は身体の内部に沈む現象で、空間的な広がりを持たない。知覚は外の配置、感覚は身体の応答であり、両者を混同すると心身の循環論に陥りやすい。外界の知覚と内部の感覚を分けることによって、世界から来る作用と身体の反応の位置関係が明確になり、のちに議論される記憶の役割が浮かび上がる。知覚と感覚の差異は、過去の経験がどのように現在の知覚に重なり、意味づけを与えるかを理解するための前準備となり
、ベルクソンが記憶の問題へ進むための不可欠な足場となっている。
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