Saturday, November 15, 2025

知覚と感覚のあいだに梯子をかける ベルクソン「物質と記憶」

知覚と感覚のあいだに梯子をかける ベルクソン「物質と記憶」
ベルクソンが「記憶」という大問題に入る前に丁寧に進めるのが外の知覚と内の感覚の配置である。知覚は世界の側にあり空間的広がりをもつイマージュで、感覚は身体内部に起こる強度のみの現象であり広がりをもたない。この区別を曖昧にすると記憶を脳内の像とみなす循環論へ陥りやすいため、まず両者の位置づけを明確にする必要があった。しかし外の知覚と内の感覚が並んでいるだけでは経験の意味は成立しない。ベルクソンが示唆する「教育」や「訓練」は、視覚的パターンと身体内部の反応の結びつきを経験を通して織り上げていく過程を指す。ある光景を見て危険と感じるか懐かしいと感じるかは、身体の感覚と過去の経験の蓄積によって決まり、その結びつきこそが記憶の働きである。記憶は脳内の映写室ではなく
、知覚と感覚を結ぶ様式の繰り返しによって形成される関係の歴史として構想される。したがって知覚と感覚の配置を厳密に描くことは記憶への前置きではなく記憶論の基礎そのものであり、ベルクソンは世界と身体のあいだにかけられた梯子を点検しつつ記憶を再定義しようとしているのである。

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