見えざる揮発 - 塩化メチルとオゾン層の記憶
1970年代~1990年代:沈黙の毒
塩化メチル(クロロメタン)は、かつて人々の生活の裏側で静かに使われ続けた化学物質だった。化学工場では溶剤として、農業では燻蒸剤として、日常の影に潜むように存在していた。しかし、その目に見えぬ揮発性の気体は、知らぬ間に成層圏へと昇り、オゾン層をゆっくりと蝕んでいた。1970年代から1990年代にかけて、世界はフロン類やCFC(クロロフルオロカーボン)の脅威に気を取られ、塩化メチルの本当の姿に目を向けることはなかった。
2000年代:覚醒する地球の警告
2000年、国立環境研究所の調査により、塩化メチルの発生源は単なる工業地帯ではなく、熱帯の森林や海岸線に広がる自然環境にもあることが明らかになった【国立環境研究所】。海水の塩素イオンが陸上の植物や枯葉に作用し、目には見えない毒素を大気へと放つ。人類の手によらぬ排出が、長年にわたって空の向こうで影響を及ぼしていたのだ。
同年9月、気象庁の観測で南極上空のオゾン破壊量が9622万トンに達し、かつてない規模のオゾンホールが発見された。面積は2918万平方キロメートル、南極大陸の2倍以上に広がり、1998年の記録を超えた【気象庁】。フロン規制によって状況は改善しているはずだった。それでも、成層圏の傷は癒えるどころか、新たな影を落とし続けていた。
2020年代:見えざる影との対峙
2020年代、日本国内での塩化メチルの排出量は年間232トンと報告されている。化学工場の煙突から、製造ラインの片隅から、気付かぬうちに放たれる微細な気体。それはただ空へと消えていくのではない。見えざる力が空高く運び、いつか、どこかで、目に見える影響となる【経済産業省】。
同時に、自然発生源の動向も不透明になってきた。熱帯林の減少と気候変動が、塩化メチルの放出にどのような影響を及ぼすのか。科学者たちは、空の裂け目を見つめながら答えを探し続けている【環境省】。
塩化メチルはモントリオール議定書の規制対象外だ。しかし、その無名の存在が、未来にどれほどの爪痕を残すのか。オゾン層がすべてを語る日は、そう遠くないのかもしれない。
情報源:
- 環境省
- 国立環境研究所
- 経済産業省
- 気象庁
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