〈光と影の看板都市――赤線吉原と風俗営業の美学〉-1950〜60年代
戦後の日本社会は、焦土からの復興を遂げながらも、都市の裏側に"生き残ったものたち"の世界を抱えていた。その最たる象徴が、東京・吉原であった。江戸時代以来の遊郭の伝統を背負ったこの街は、戦後まもなくの混乱の中でも、国家による"特飲街"として再編され、実質的な売春が黙認される赤線地帯となった。
この時代、売春防止法(1956年制定、1958年施行)以前の吉原には、華やかさと胡散臭さが共存していた。表通りからは見えない小路に、色とりどりのネオンと"裏口営業"の看板が並ぶ。表向きは「喫茶店」「旅館」「マッサージ」などの看板を掲げながら、内実は売春を行うこれらの店々は、法の目をかいくぐる巧妙な意匠を凝らしていた。
例えば、看板に女性名を記して「○○ちゃんの店」とする手法、あるいは"直接的な文言"を避けつつ、ピンクのネオンや丸い意匠、カーテンの形などで来訪者に「営業内容」を暗示するデザイン的工夫が多く見られた。また、昼は一見普通の美容院、夜になると別の看板が現れる"二重構造の表札"なども登場する。そうした仕掛けは、まさに地下世界と合法の境界線上で生きる者たちの、生存の知恵であった。
この文化はまた、地域性とも深く結びついていた。吉原は特に「伝統と格式」の象徴であり、梅毒や結核などの感染病対策も、表向きには衛生的と称される一方、裏では医師の買収や診断書の捏造なども横行していた。赤線は、地方出身の女性や戦災孤児、生活困窮者を労働力として取り込み、都市の周縁に居場所を作っていたが、それは同時に国家から切り捨てられた人々の集合点でもあった。
1958年の売春防止法施行によって吉原は名目上"浄化"された。しかし、風俗営業は形を変えながら残り、今度は「ソープランド」や「トルコ風呂」(当時の呼称)へと転身していく。看板の文字も、より抽象的・幻想的な言葉へと変わり、「愛の館」「夢のしずく」など、客の想像力に語りかける手法が定着していった。
このように、赤線時代の吉原とその看板文化は、法と性、生活と欲望が交錯する都市の「地下的な表象」であり、それを生き抜いた者たちは、都市の表層に現れない"もうひとつの知恵"を体現していた。
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