内田春菊と切り抜きの沈黙――1970年代『暮しの手帖』と母のまなざし
内田春菊は語る。「母が『暮しの手帖』の記事を、切り抜いてスクラップしていた」と。それは声に出して語られることのない、しかし明確なメッセージだった。彼女のこの証言は、1970年代という時代の家庭において、雑誌がいかにして「価値観の代弁者」として機能していたかを静かに物語る。
高度経済成長を経て、家庭にはさまざまな情報が流れ込んだ。テレビが普及し、新聞が毎朝配られ、週刊誌が駅売店に並び、そして『暮しの手帖』のような生活誌が台所の棚に置かれていた。だが、それらの中で『暮しの手帖』は他のメディアと一線を画していた。広告を載せず、企業に媚びず、生活者の目線で「正しい暮らしとは何か」を一貫して提示していたのである。
スクラップとは、言葉のない教育だった。切り抜かれたページは、家族の誰かに手渡されるわけではない。けれど、冷蔵庫の横や電話のそばに貼られた「正しい掃除のしかた」「家庭での洗剤比較表」は、家族にとって母親の無言の戒律となった。そこには「こうしなさい」とは書かれていない。だが、「そうでなければならない」という空気があった。
内田春菊が「あの雑誌を読むと怒られそうな気がした」と回想するのは、この無言の重圧への感覚的な記憶である。『暮しの手帖』そのものが怒るのではない。だが、それを"読むにふさわしい人間"でなければならないというような、家庭内の倫理のまなざしがそこにあった。
1970年代の家庭において、母親は単なる家事の担い手ではなく、生活の指揮者だった。『暮しの手帖』はその譜面であり、子どもたちはそのリズムに沿って生活を組み立てる。だが、その音符は言葉ではなく、紙片で伝えられた。母は語らず、雑誌が語った。そして子どもたちは、その沈黙を読むことを学んだ。
この語られない伝達、この無言の価値観の継承こそが、当時の家庭の構造を最も端的に示している。そしてそれは、今日失われつつある「家庭内メディアの気配」とも言えるだろう。『暮しの手帖』は、家庭の中で母と子のあいだに広げられた、静かな教本だったのだ。
No comments:
Post a Comment