Saturday, May 3, 2025

麻生れい子と『暮しの手帖』――1970年代、母と娘のあいだにある静かな壁

麻生れい子と『暮しの手帖』――1970年代、母と娘のあいだにある静かな壁

『暮しの手帖』という雑誌を、麻生れい子は「母が読んでいた雑誌」として記憶している。この何気ない一言は、単なる世代間の嗜好の違いにとどまらず、1970年代の日本における家庭文化と消費文化の地層を、静かに照らし出す。

麻生れい子は当時のファッションモデルであり、テレビや雑誌に登場する華やかな存在だった。そんな彼女が『暮しの手帖』を「母の雑誌」として位置づけた背景には、同誌が強く帯びていた"家庭性"と"庶民性"のイメージがある。戦後の混乱期に創刊されたこの雑誌は、商業主義から距離を置き、広告を一切載せず、生活者の目線でモノを見つめ続けてきた。

特に高度経済成長ののち1970年代の家庭では、母親たちが暮らしに「正しさ」と「実用」を求めた。それは、商品テストというかたちで具現化され、無数の主婦たちが『暮しの手帖』を手に取り、「正しい選択」を学び取ろうとしていた。彼女たちにとって、この雑誌は暮らしの羅針盤であり、生活の倫理書でもあった。

一方で、麻生れい子たち若い世代は、より自由で、より即興的な文化の波に身を任せていた。テレビ・音楽・ファッション──それらは『暮しの手帖』とはまるで違う"動的な世界"だった。だから彼女がこの雑誌を「あまり知らない」と語ることは、ごく自然な距離感であり、それは同時に「家庭という場」と「芸能という場」との静かな断絶を象徴してもいる。

この断絶の奥には、ファッションモデルという存在が、まだ家庭的価値観とは別のベクトルで社会に見られていた、当時の空気も横たわっている。だからこそ、麻生の無関心の裏には、ある種の敬意と、触れてはならぬものへの緊張が潜んでいるようにも見える。

1970年代。『暮しの手帖』は家庭の中で確固たる位置を築き、芸能の世界はその外でまばゆく輝いていた。麻生れい子の一言は、そのはざまにある静かな壁を、何よりも雄弁に物語っている。

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