湖の緑と暮らしの未来――2000年・手賀沼のアオコと闘ったサラリーマンNGOの挑戦
2000年、千葉県の手賀沼は「全国ワースト」の水質を記録し続ける象徴的な湖だった。平均水深は1メートルにも満たず、戦後の急激な都市化により、生活排水の浄化が追いつかず、リンや窒素による富栄養化が進行。夏になると「アオコ」と呼ばれる藻類が湖面を覆い、腐臭を放ち、魚類や他の水生生物の生息環境を奪っていた。
このような背景のもとで、当時30代後半だった藤本治生氏は、会社員でありながらも空手師範・環境NGO代表として三つの顔を持つ、ユニークな活動家であった。彼が率いた「ソフト・エネルギー研究会」は、啓蒙ではなく"実践"を重視し、「週末だけの研究・技術開発」をモットーに活動していた。
藤本氏の着眼点は、従来の行政施策――すなわち下水道整備やリン除去では解決が追いつかないという現状認識だった。そこで彼は、「アオコそのものを資源として捉える」という逆転の発想から出発する。「汚染」ではなく「資源」――この考え方は、当時、持続可能性(サステナビリティ)や循環型社会の必要性が叫ばれ始めた時代の空気と共鳴する。
彼が開発した「アオコバスター」は、超音波でアオコのガス胞を破壊し、浮力を失わせて沈降させる装置だった。手作りの円筒形導波管に超音波振動子を仕込み、木製パレットにPETボトルを付けて浮かせるという、低コストかつ再利用材活用の発明だった。電力消費は1個30W以下で、非常にエネルギー効率がよかった。
さらに藤本氏は、「湖上農法」という構想を打ち出す。アオコの栄養分を利用して、クワイや空芯菜(エンサイ)を栽培し、実際に成功。千葉大学の安全確認も得た。水面に浮かべた栽培装置には砕いた貝殻を敷き詰め、根を張らせる。これは「富栄養化」を「液肥化」へと転換する試みであり、「環境問題を逆手に取る」点で革新的だった。
背景には、彼が学生時代にスペインでの生活を経験した「ゆとりある生活」に対する憧れがあった。高度成長期に育ち、効率と競争に追われる日本の生活に疑問を持った彼は、「心豊かで持続可能な暮らし」を追求する手段として環境技術にたどりついたのである。
2000年という時代は、ちょうど京都議定書(1997年COP3)の影響が具体化しつつあり、「持続可能な社会」や「循環型経済」といった言葉が政策にも企業にも浸透し始めた時期だった。地方自治体では下水道整備が遅れ、国の支援を受けながら苦心していたが、藤本氏のように市民が主導して技術開発を行うモデルは極めて先駆的だった。
藤本氏の活動は、単なる自然保護ではない。技術と生活の再統合を目指す「生活の再設計」だった。資源循環、都市と自然の関係、職業と市民活動の接続――そのどれもが2000年代以降の環境運動や地域再生に先駆ける内容であり、その意義は今日でも大きい。
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