浄化作戦後の変化―2003年以降の新宿歌舞伎町
2003年12月、石原慎太郎都知事が自ら歌舞伎町を極秘視察したことを契機に、「歌舞伎町浄化作戦」が本格化した。背景には、1990年代末から2000年代初頭にかけて相次いだ暴力団抗争事件、中国・韓国系マフィアの進出、そして外国人風俗店や違法営業の拡大があった。当時の歌舞伎町は、アジア系犯罪グループと日本の暴力団が複雑に絡み合い、「無国籍都市」と呼ばれるほどに治安不安が顕在化していた。
この浄化作戦では、警視庁と新宿署が合同で摘発を強化し、韓国系デリヘルや置屋、不法滞在者の住処となっていた雑居ビル群が次々に摘発・閉鎖された。特にコマ劇場周辺や職安通り裏の雑居ビルにあった韓国系風俗は壊滅的打撃を受け、街の表面上は一気に「クリーン化」が進んだ。2004年頃には、路上で目立っていた客引きの韓国人女性や中国人ブローカーの姿が消え、テレビの治安特集でも「歌舞伎町は変わった」と報じられるようになった。
しかし、その後の変化は一筋縄ではいかなかった。韓国系や中国系の風俗店が減少した一方で、2000年代半ばから後半にかけて、アフリカ系、とりわけナイジェリア人を中心とする黒人客引きが急増した。彼らは「路上呼び込み」の空白を埋めるように歌舞伎町一番街や区役所通りに立ち、居酒屋やバー、風俗店へと客を誘導するようになったのである。客引き行為は違法であり、時にトラブルや詐欺に発展することも多く、住民や来街者にとって新たな治安不安の要因となった。
この背景には、日本の出入国管理政策と国際化の進展がある。2000年代はアフリカからの留学生や短期滞在者が増え、就労ビザを持たない者が水商売や客引きに流れるケースが多発した。さらに、バブル崩壊以降の不況で歌舞伎町の地価や賃料が下がり、外国人でも参入しやすい商売環境が整ったことも影響していた。
つまり、浄化作戦は一時的に「見える犯罪」を減少させたものの、結果的に歌舞伎町の構造的な問題――多国籍化と夜の経済への依存――を解決することはできなかった。韓国系風俗が姿を消した後には黒人客引きが増え、その後は東南アジア系の労働者やニューカマーが街に浸透するなど、治安問題は「形を変えて続く」宿命にあった。
この過程は、歌舞伎町が「都市の縮図」として常に新しい社会問題を引き寄せる場であることを示している。表面的なクリーン化と裏での混沌化の同居――これこそが2003年以降の歌舞伎町を特徴づける時代背景であった。
No comments:
Post a Comment