山稜を分け合う者たちの地図-サンカの縄張りと仲間の風景(昭和期)
サンカたちの移動生活は自由奔放に見えながらも精妙な秩序に支えられていた。昭和中期から後期の農村社会が近代化へ向かう中山野を行き交う職能民はそれぞれがテリと呼ばれる行動範囲を守り互いの縄張りを侵さない暗黙の了解を保っていた。どの谷筋をどこまで上がるかどの村を何年周期で訪れるかどの沢に仮小屋を構えるかといった情報は血縁ではなく経験と信頼によって継承された。これらは衝突を避けるためだけでなく竹を伐りすぎないなど山の資源を守る知恵でもあった。
仲間同士には本名とは異なる通称やあだ名が使われ技や気質を象徴する響きを持っていた。文字に残らない小さな社会であるにもかかわらず彼らの間には確かな連帯があり同じテリを巡る者同士の挨拶や情報交換は欠かせなかった。
注目すべきはこうした縄張り制度が村との対立を生まなかった点である。農村の人々は移動する職能民を完全な外部ではなく必要な時に頼れる半ば村人として受け入れていた。農具の修繕や籠の補強を依頼し時に世間話を交わす関係は緩やかに補い合う共同性を形づくっていた。
サンカのテリトリーと仲間関係は流浪と定住の狭間に生まれた独自の調和であり昭和という過渡期の山間社会に息づいた静かな協力のシステムであった。その地図は紙には残らなかったが人々の記憶と歩みによって確かに描かれている。
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