Monday, May 5, 2025

〈影を喰らう男たち――赤線時代のヒモとチンピラの肖像〉-1950〜60年代

〈影を喰らう男たち――赤線時代のヒモとチンピラの肖像〉-1950〜60年代

戦後復興の熱気に包まれながらも、都市の周縁には、制度から取り残された者たちが静かに集まっていた。1950年代の東京・吉原や洲崎、鳩の街などの赤線地帯には、娼婦たちの背後に寄り添う若い男たちの影があった。彼らは、社会の制度的保護を受けることもなく、労働市場にも入りきれず、あるいは自らの意思でそこを外れた者たち。俗に「チンピラ」「ヒモ」と呼ばれた。

彼らは決して組織的な裏社会の構成員ではなかった。むしろ、風俗街の女たちと一対一の人間関係に絡まりながら生きる、ゆるやかな地下的存在であった。日雇いの肉体労働や賭場での雑用をしながら、女たちの稼ぎに依存し、時には暴力で支配し、また時には「愛される技術」に長けていた。彼らは物理的な衣食を女に預ける代わりに、娼婦たちの情緒に入り込むことで生存していた。

こうした関係性は、単なる搾取ではなく、依存と共依存、力と情のあいだで揺れ動いていた。女たちはヒモに対し、施す側であると同時に、存在の保証を求める側でもあった。孤児・未婚母・貧困層――そうした娼婦の多くにとって、「ヒモ」は都市における私的共同体の代替でもあった。

一方で、制度はこうした曖昧な関係性を認めなかった。彼らの存在は、「浮浪者」や「不良少年」として監視の対象となり、1958年の売春防止法施行以後は、さらに過酷な状況へと追いやられていく。職業を失った娼婦とともに、ヒモたちの多くは街から姿を消し、ある者は暴力団に吸収され、ある者は都市の底へと沈んだ。

こうして、「ヒモ」や「チンピラ」という言葉が軽蔑と風刺の対象として消費される裏で、かつて都市の片隅で灯を分け合って生きた男女の営みは、やがて制度の記録からも見えなくなっていった。

No comments:

Post a Comment