Sunday, May 4, 2025

清潔之革命譚――ゼンメルワイスと日本医制の夜明け(十九世紀中葉より明治)

清潔之革命譚――ゼンメルワイスと日本医制の夜明け(十九世紀中葉より明治)

十九世紀中葉 ウィーンの産科医イグナーツ・ゼンメルワイスは 不可解な現象に直面していた。医学生の立ち会う産科病棟では 助産婦だけが担当する病棟に比べ 産婦の死亡率がはるかに高かったのである。出産後に発症する産褥熱は 死因の一つとして恐れられていたが 当時はその原因が分かっていなかった。

ゼンメルワイスは原因を追究する中で 医学生が死体解剖の後 手を洗わずに出産に立ち会っている事実に注目した。彼は塩素水での手洗いを義務づけると 死亡率は劇的に低下した。しかしこの発見は 同僚や上層部から冷笑と拒絶をもって迎えられた。当時の医学界には 病原菌という目に見えぬ存在への理解がまだなく 医師が感染源になりうるという考えは 権威への挑戦と受け取られたのである。

ゼンメルワイスは孤立し 精神を病み 精神病院で命を終える。その後 パスツールやコッホが細菌学を確立するまで 彼の直感は長らく顧みられることはなかった。

一方 日本においても十九世紀後半 科学的知見が常識となるには 激しい抵抗と試練が伴った。天然痘が猛威を振るう中 蘭方医の緒方洪庵は牛痘による種痘を広めようと尽力したが 牛の病を人に打ち込むなど不敬 仏罰が当たるといった迷信に阻まれた。彼は自らの子にも接種を施し 言葉ではなく実証で民衆の不安を解いた。

また明治期 海軍軍医総監の高木兼寛は 白米中心の食事が原因であるとにらみ 麦飯を導入して脚気による死者を激減させた。しかし 陸軍では伝統に縛られた学者たちによりその効果は黙殺された。科学よりも権威が優先されるという構造が ここにも顔を出していた。

近代日本では衛生という概念そのものが 輸入品であった。後藤新平らが導入した下水道や伝染病対策も 農村部では水洗便所は肥料を失うとして反対された。入浴習慣や糞尿再利用など 生活文化と科学が衝突する場面は枚挙に暇がない。

ゼンメルワイスの塩素水 洪庵の種痘 高木の麦飯――これらは衛生という名の革命の尖兵であった。科学は単なる理性の積み重ねではない。それは 常識を疑い 誤謬を認め 人々の恐れと文化の壁を越えて初めて 社会に根を下ろすのである。

今 私たちが手を洗うのは当然と考えることができるのは そうした知られざる闘いと犠牲の果てに築かれた静かな勝利の上にあるのだ。

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