2002年春、環境基本法の成立から10年が経ち、「循環型社会形成推進基本法」や一連のリサイクル関連法が整備され、日本全体が"脱・大量廃棄"に舵を切っていた。都市部では家庭ごみの分別が進み、企業も「環境報告書」を出し始めていた時代。だが、日本列島の辺境、離島地域ではまだ多くの課題が未解決のままだった。
屋久島では、急峻な地形と豊富な水資源を生かし、電力の8割を水力でまかなう持続型のエネルギーシステムがすでに稼働していた。町営の施設では生ごみやし尿、家畜糞尿を堆肥化し、地元農地で循環利用していた。一方、沖永良部島でも、島内で発生する有機ごみを堆肥に変え、農地の25%で利用するなど、地道な実践が始まっていた。
しかし、そうした例はまだ一握りだった。例えば、奄美大島でのリサイクル費用は、冷蔵庫1台の収集運搬に8000円以上かかると言われ、島民の経済的負担は深刻だった。自治体は頭を抱え、「島内で処理すべきか」「それとも輸送して本土で処理するか」と選択を迫られていた。特に議論を呼んだのは「どの島にリサイクル施設を設置するか」だった。
2002年1月、鹿児島県のある離島会議では、島の首長たちが一堂に会した。徳之島の町長が語った。「うちの島に施設を作れば他の島の廃棄物も受け入れねばならない。それでは公平とは言えないのではないか」。それに対し、喜界島の議員は応じた。「でも、どこかに作らねば輸送費ばかりかさむ。補助金が出るうちに動かないと、誰も得をしない」。
こうした中、「離島振興法」の延長を控え、国は「循環型社会の構築」も次回改正の柱に据えようとしていた。離島振興法は、海に囲まれた孤立性、物資輸送の困難、高齢化の進行など、離島特有の課題に対し、1953年に制定された時限立法であり、2002年度末で期限切れを迎えようとしていた。新たな延長にあたり、単なるインフラ整備だけでなく、環境調和型の生活基盤づくりが重視され始めていた。
八丈島では、デポジット制度による缶回収が大きな成果を上げていた。「5円返金されるなら、子どもたちも協力してくれる」と、島の婦人会が誇らしげに語る。天売島では、生ごみ堆肥化により焼却ごみを85%削減することに成功し、「本土より早く"ゼロウェイスト"に近づいているかもしれない」と担当者は笑った。
だが、それでも現実は厳しい。施設を持っても稼働率が低ければ維持費がのしかかり、観光客によって生じる突発的なごみは計画を狂わせた。一部では「環境ビジネス」を導入しようと企業誘致も進められていたが、採算の合わない離島では撤退も相次いだ。
それでも、島の人々は声を合わせる。「未来のためにやらなければならない」「他人任せにはできない」。こうして、島ごとの事情を汲みながら、行政と住民の話し合いは深まり、徐々に"地域ごとの循環型社会"という新たなビジョンが描かれはじめていた。
杉並のレジ袋税が都市での行動変容を促す試みなら、離島での堆肥化や再資源化は、生活そのものの見直しを迫る挑戦だった。広い海に隔てられたその場所で、自然と共に生きるための"循環の知恵"が、静かに根を下ろそうとしていた。
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