Saturday, August 23, 2025

病気や休養をめぐるやり取り―吉原の内側に流れる人間模様(江戸時代)

病気や休養をめぐるやり取り―吉原の内側に流れる人間模様(江戸時代)

吉原の遊廓は華やかさの影で、過酷な労働と健康被害が常につきまとっていた。遊女たちは朝から深夜まで客の応対に追われ、化粧や衣装の重み、酒宴の席での無理な接待によって体調を崩すことが少なくなかった。当時の江戸は伝染病が繰り返し流行し、特に梅毒や結核といった病が遊女を蝕んだ。こうした背景から、遊女が「休む」ことは日常的に生じる問題だったのである。

遊女が病気で床に伏せば、まず女将や帳場の者が「今日は姉さんは客を取れぬ」「代わりにどの者を出すか」と相談する。これは単なる内輪の事務連絡ではなく、客を失望させぬための駆け引きでもあった。常連客には「特別に若い子を付ける」と伝えたり、逆に上客であれば「快復を待つのも粋」と言って機嫌を取るなど、言葉の選び方ひとつで店の評判が左右された。

また、同僚の遊女たちの間でも噂や冗談が飛び交った。「また惚れ薬を盛られて参ったのでは」などと軽口を叩き合うこともあれば、実際には過労や感染症による深刻な病である場合もあった。そこには、辛さを笑いに変えて支え合おうとする仲間意識と、競争社会で生き残らねばならない緊張感が同居していた。

幕府は遊廓を治安維持の一環として公認したが、遊女の健康を守る仕組みはほとんど整っていなかった。そのため病気や休養をめぐるやり取りは、制度ではなく現場の工夫や会話に依存していたのである。華やかな吉原の舞台裏には、こうした日常の小さなやり取りを通じて浮かび上がる、切実で人間的な姿があった。

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