2号機のRCICが踏ん張った日 福島第一原発で冷却の火が消えなかった3日間(2011)
東日本大震災が襲った2011年3月11日福島第一原発では想定を超える津波が押し寄せ発電所の電源設備は一瞬で失われた。多くの装置が次々に停止していくなかで2号機だけは一つの設備がかろうじて生き残っていた。RCIC原子炉隔離時冷却系と呼ばれる装置である。この装置は蒸気を利用して自らのポンプを動かす仕組みで電源喪失下でも冷却水を原子炉に送り込むことができるが長時間運転を想定した設備ではない。それにもかかわらずRCICは震災後3日目まで動き続けた。
当時現場では計器が失われ正確な状態把握は困難だった。RCICが動くかどうかは運命の分かれ目であり停止していれば2号機は急速に炉心が損傷した可能性が高い。震災後の日本社会は原発事故の状況が掴めず不安が広がり情報公開をめぐり混乱が続いていた。現場では技術者が限られた資源で冷却維持に奔走し政府事故調でもこの三日間の持続は極めて特異と記録されている。RCICが動き続けた事実は事故史の中でも象徴的な時間となった。
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