Monday, May 5, 2025

〈残響する任侠――昭和の賭場とやくざの規範〉-1950年代

〈残響する任侠――昭和の賭場とやくざの規範〉-1950年代

敗戦直後の混乱期を経て、日本は経済復興へと歩みを進めていた。しかし、制度や警察の統制が不十分だった時期、都市の裏側では"もうひとつの秩序"が根を張っていた。その秩序を体現していたのが、「博徒」や「テキ屋」と呼ばれるやくざである。

1950年代のやくざは、戦前からの「任侠道(にんきょうどう)」の延長線上にあった。任侠とは、暴力による支配や利権の獲得に加えて、「弱きを助け、強きをくじく」という儒教的・武士道的な倫理観をともなった存在とされていた。彼らはしばしば「仁義」や「義理」「盃事(さかずきごと)」などの儀礼によって結びつき、法とは別の"掟"のもとに動いていた。

賭場(とば)は、そうしたやくざの原点とも言える場である。ここでは単なる金銭のやりとりではなく、参加者の「度胸」「礼儀」「沈黙」「負け際の美学」などが試される。勝っても敗者に礼を尽くし、札を放る手つきにも作法があったという。博徒社会では、こうした所作が「粋」や「男の品格」と結びついていた。

当時の記述では、「賭場には武士道の残り香が漂っていた」と評される。つまり、表社会が金銭と効率に支配されていく中で、裏社会の男たちは逆に"道"を重んじようとしていた。実際に、盃を交わすことで兄弟分・親分子分の関係を明文化し、その契りを破れば「破門」「指詰め」といった厳罰が科された。

また、彼らの規範は、戦災孤児や生活困窮者の受け皿としての側面も持っていた。社会の周縁に追いやられた者たちが、唯一「義理と掟」で人間関係を築ける場が、やくざの世界だった。組織のなかには、読み書きのできない若者に「親分」が生活や作法を教えるような構造もあった。

だが、こうした"美学"も1960年代に入ると徐々に崩れていく。高度経済成長により裏社会の金銭規模が拡大すると、暴力団はより実利的で企業的な性格を強めていく。利権抗争、覚醒剤取引、地上げ、政治介入――「道」よりも「利」が前面に出る組織へと変貌した。

それでも1950年代の記憶には、未だ"博徒"と呼ばれた男たちの所作が残っている。彼らは、制度の外にあってなお、己の作法と一分に生きた。その姿は、都市が忘れたもう一つの倫理の残響でもあった。

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