Friday, May 2, 2025

燃ゆる医局の青春――東大闘争と本田勝紀の時代(1968~1969年)

燃ゆる医局の青春――東大闘争と本田勝紀の時代(1968~1969年)

1960年代末 世界は大きく揺れていた。パリの五月革命 アメリカの反戦運動 中国の文化大革命――その波は極東の島国日本にも及び 学生たちの怒りがキャンパスを震わせていた。1968年から1969年にかけて東京大学で巻き起こった学園紛争 いわゆる東大闘争は 戦後日本の教育 政治 社会構造を根底から問う歴史的事件である。

その中心にあったのが「インターン制度」への抗議だった。東大医学部附属病院における医師免許取得後の研修制度は 無報酬かつ長時間労働 非人道的な環境が蔓延していた。若き医学生たちは 制度に抗い 大学の運営 学問の自由 そして人間としての尊厳を訴えて立ち上がった。

こうした運動の中枢を担ったのが「東大全共闘(東京大学全学共闘会議)」である。これは既存の学生自治会とは異なり セクト(党派)に属さない学生たちや反体制的教員が結集した 超党派・非公認の実動組織であった。全共闘は討論と占拠を武器に 大学という制度の根幹を揺るがせた。

内部には 次のような構造があった:

- 活動母体は学部別に組織され 医学部・法学部・文学部・教養学部などがそれぞれ独自に全共闘を形成しつつ 全学共闘会議で連携した。
- 指導部はローテーション制の討論会議によって構成され 明確なリーダーを持たず「議論の徹底」を原則とした。
- 多くは反権力・反資本主義・反管理教育を掲げ 警察権力や官僚的大学運営を「暴力装置」として告発した。
- 武装的なセクトとは一線を画しながらも バリケード封鎖や自主講義を実践し 大学をもう一つの公共空間に変えようとした。

その運動のただ中に 本田勝紀という一人の医師がいた。東京大学医学部第一内科の医局員でありながら 学生運動に共鳴し 体制の中から変革のうねりに身を投じた稀有な存在だった。通常 医局とは体制の最奥であり 運動とは距離を置く存在である。しかし本田は 医局という知の牙城の中から声を上げた。

東大闘争はやがて 大学の自治 教授選考制度 国家と学問の関係へと論点を広げ 安田講堂封鎖へと至る。1969年1月 機動隊の突入により象徴的な終焉を迎え 大学は「正常化」され 学生たちは沈黙の時代へと追いやられていった。

その後 制度改革は徐々に進められたものの 戦後的な「大学自治の理想」はその輝きを失っていった。しかし あの冬の医局で燃えていた灯は 決して徒労ではなかった。本田勝紀の名は『話の特集』誌上に「大活躍した人物」として一行で紹介されているだけだが その背後には 知と行動をつなぐ 一人の知識人の静かな革命が確かにあった。

それは「なぜ学ぶのか」「誰のために働くのか」を命がけで問うた時代の 最後の炎のひとつであった。

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