Friday, May 2, 2025

闇に語られざる兄弟譚――1970年代、メディアと言論封殺の交差点

闇に語られざる兄弟譚――1970年代、メディアと言論封殺の交差点

1970年代初頭、日本は高度経済成長の余熱に包まれつつも、その豊かさの陰に矛盾を抱えていた。ジャーナリズムの現場では、言論の自由が形式としては保障されながらも、実質的には経済資本による「自己規制」という名の検閲が進行していた。そんな時代の只中に、竹中労は一つの"異端の原稿"を書いた。

美空ひばりの実弟であり暴力団関係者であった加藤哲也。彼が刑務所内で命を落としたとき、世間も報道も、その死に目を向けなかった。竹中は、どのような素性であれ「人間の死は等しく扱うべきだ」と訴え、『週刊プレイボーイ』に追悼文を寄せた。しかしその原稿は掲載拒否される。拒否の理由は編集方針ではなく、「経営判断」によるものだった。企業としての出版社は、抗議やクレームをおそれ、自らの内部で事前に「不都合な言論」を除外する体質に染まりつつあった。

この拒否は、美空ひばりという国民的スターが持つ影響力と、芸能と裏社会の不可分な関係を物語っていた。ひばりは戦後興行界の象徴的存在であり、その成功の背後には興行を支配していた暴力団の存在があった。弟である加藤哲也の存在は、その構図の裏付けとも言えよう。だが、メディアはそれを正面から報じることなく、沈黙を選んだ。

竹中は怒りを込めて語った。「言論の自由とは、国家の外側ではなく、企業の内側で殺される」。編集部が「経営的に困る」と判断すれば、どれほど真摯な言葉であっても、それは活字になることはない。彼が直面したのは、体制による直接の圧力ではなく、企業内部の「忖度」と「恐れ」による言論封殺だったのだ。

これは、暴力団の擁護というよりも、むしろ暴力団という「社会の影」を語ろうとした瞬間、その語りすらも封印される構造への抵抗だった。大衆社会が「見たいもの」しか見ず、「知りたくないこと」には耳を塞ぐ時代において、竹中の筆は孤独だった。

1970年代のこの一件は、その後の芸能界と暴力団の癒着問題をめぐる沈黙、さらには「報道されない自由」という皮肉な現実に先駆ける出来事だった。語られなかった者たちの声、書かれなかった原稿、消された真実。それは、時代の闇に沈んだまま、いまもなお問いかけている。

「黙るな。黙らせるな。声を、文字を、闇のなかに灯せ」と。

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