Friday, May 2, 2025

雪と血と革命の果て――1972年、浅間山荘に散った若者たちの幻想

雪と血と革命の果て――1972年、浅間山荘に散った若者たちの幻想

1972年2月、長野県軽井沢の雪に包まれた山荘に、5人の若き革命家が立てこもった。連合赤軍――かつて理想と呼ばれた言葉を掲げ、国家権力の転覆を夢見た者たちが、血と銃弾で描いた最期の劇場。それは単なる立てこもり事件ではなく、戦後民主主義の歪みと、革命という名の共同幻想が崩壊する瞬間だった。

1960年代、日本中を覆った学生運動の熱気は、やがて過激派同士の分裂と抗争へと変質していった。共産主義者同盟赤軍派と革命左派が合流し、連合赤軍が誕生する。その内部で始まったのが、「総括」と呼ばれる思想粛清。同志への容赦ないリンチ、凍てつく山の中で12人が殺されていく。敵は国家ではなかった。味方だったはずの仲間の手によって、彼らは一人ずつ息絶えた。

そして、浅間山荘事件。5人は逃走の果てに、偶然たどり着いた山荘を襲撃し、人質を取って立てこもる。警察は全国から機動隊を集め、10日間にわたる銃撃戦と籠城が続く。日本中がテレビの前に釘付けとなり、「革命」は生中継された。銃声、火炎、怒号。それは"映像化された革命"として、家族の茶の間に侵入した。

この事件で、機動隊員2名、民間人1名が命を落とした。負傷者は多数に及び、逮捕された犯人たちは、その後次々と死刑判決や無期懲役を受ける。だが、それ以上に重かったのは、「若者たちの信じた正義」が崩壊していく様を、全国民が目撃したことだった。

1972年――日本は高度成長の終わりを迎えようとしていた。ベトナム戦争の影、アメリカのニクソン訪中、沖縄返還。国際情勢が大きくうねる中で、連合赤軍の若者たちは"取り残された理想"にしがみつき、そのまま崖から転落したのである。

彼らが信じた「革命」は、やがて仲間殺しとなり、閉鎖的な空間の中で暴力を循環させる「密室のロジック」へと変質した。理想は内ゲバに、連帯はリンチに、純粋は狂気に。浅間山荘は、そのすべてを象徴する"墓標"である。

この事件ののち、日本の新左翼運動は急速に衰退し、若者たちの運動は沈黙していった。だが、それは本当に終わったのだろうか。思想と暴力、理想と裏切り。その軌跡は、今もなお、あらゆる世代の奥底に火種として残っている。

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