Saturday, May 24, 2025

世界を燃やさなかった指――1983年9月、核の扉の前で

世界を燃やさなかった指――1983年9月、核の扉の前で
1983年9月26日、ソビエト連邦の軍人スタニスラフ・ペトロフ少佐は、人類の運命を左右する極めて重大な選択を下すことになる。この夜、彼が勤務していたソ連の早期警戒システム「オコー」は、アメリカからソ連に向けて核ミサイルが発射されたとする警告を発した。最初に1発、続いて4発、計5発のICBMが検知されたとの報が届き、核報復の判断が迫られる事態に陥った。冷戦下の常識では、敵の先制攻撃には即時の反撃が当然とされ、遅れれば国家の存亡に関わると信じられていた。

だがペトロフ少佐は、その信号を冷静に疑った。全面核戦争を企図するならば、たった5発で足りるはずがない。しかも、地上レーダーには何の反応もない。システムの挙動が完璧すぎたことも、彼に機械の誤作動を確信させた。彼は通報を見送り、報復の引き金となる判断を差し控えた。のちの調査で明らかになったのは、人工衛星が雲に反射した太陽光を、アメリカのミサイル発射と誤認識していたという、単純だが致命的な誤作動だった。

この一度の沈黙が、地球上の無数の命を救った。にもかかわらず、ソ連政府はこの事実を隠蔽し、彼に栄誉を与えることはなかった。ペトロフは静かに軍を退き、やがて2000年代に入り、その行為が明るみに出ると、国際社会から「世界を救った男」として称えられるようになった。狂気と理性が拮抗する時代に、ひとりの人間の理性が勝利した。その記憶は、今日なお忘れられてはならない教訓である。

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