彷徨える知の旅人 ― 光瀬龍と戦後日本の高等教育事情(1950年代〜60年代)
戦後の混乱がようやく落ち着きを見せはじめた1950年代、光瀬龍は東京育ちでありながら、終戦末期には岩手県前沢町へと一家で疎開していた。わずか数年の滞在だったが、彼はこの地への郷土愛を後年にわたり語り続けた。復員と復興の中、教育制度も再編され、進学は「上昇志向」の象徴となる一方で、進路の流動性も高まっていた。
そうした時代背景のなか、光瀬は東洋大学、明治大学、そして東京農工大学農学部を受験しながらも途中で断念。最終的には東京教育大学農学部に入学し、動物学を専攻するものの、その後さらに哲学科へ編入し、これも中退している。まるで学問そのものを探し求めてさまよう"遍歴の旅"だった。
彼自身がこの経験を「大学無宿」と自嘲気味に呼んだのは、敗戦後の世代の学生たちに共通する、学びへの強い渇望と現実とのギャップを象徴している。時代は、就職が安定と成功の証とされる中、光瀬のように学問と文学を往復し続ける生き方は、異端とみなされることもあったが、同時にそれは創作者としての土壌を耕す時間でもあった。
やがて彼は、女子校で生物教師を務める傍ら、柴野拓美と出会い、同人誌『宇宙塵』に参加。知の彷徨はようやくSFという表現の場を得て結実したのである。「大学無宿」という言葉には、学歴という枠に収まらない自由な精神と、知的放浪者としての誇りが込められていた。高度経済成長の足音が響くなかで、光瀬龍は制度に安住せず、むしろその外にこそ、自身の居場所を見出していたのである。
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