Monday, July 28, 2025

GCHQ長官ロバート・ハンニガンの警告と英米サイバー同盟 ― 2014〜2016年の舞台裏

GCHQ長官ロバート・ハンニガンの警告と英米サイバー同盟 ― 2014〜2016年の舞台裏

2014年末、英国の官僚ロバート・ハンニガンが、情報機関GCHQの長官に就任した。当時、欧米諸国はロシアのクリミア併合(2014年3月)によって冷戦後の秩序が崩れ始めたことを実感しつつあった。プーチン政権は、伝統的な軍事力に加えて、インターネットやSNSを活用した「情報戦(ハイブリッド戦争)」を展開しており、西側諸国の安全保障に新たな脅威が浮上していた。

ハンニガンは、北アイルランド和平の交渉官として知られ、首相官邸でも信頼された官僚だった。彼がGCHQ長官に選ばれたのは、従来の閉鎖的な諜報文化に風穴を開け、21世紀のサイバー戦争時代に対応する改革を託されたからである。

着任早々、彼は『フィナンシャル・タイムズ』紙に寄稿し、FacebookやGoogleといったシリコンバレーの巨大IT企業が、「テロリストと犯罪者のお気に入りの指令ネットワーク」と化していると痛烈に批判。西側の情報機関と協力せよと警告を発するという、前例のない積極的なアプローチを見せた。

しかし、彼が真に恐れたのはGAFAではなく、プーチンによるサイバー・ディスラプション(混乱工作)であった。2016年春、彼の元に持ち込まれた報告書は衝撃的だった。ロシアの軍参謀本部情報総局(GRU)が、アメリカ民主党全国委員会(DNC)のメールサーバーに侵入し、膨大なメタデータを含む通信を盗み出していたというのだ。

イギリス・チェルトナムにあるGCHQ本部、通称「ザ・ドーナツ」では、数千人の暗号解読者・サイバー要員が集めた情報を分析する中で、ロシアがDNCを狙った目的が不明確であること自体が異様だった。軍事情報や政策文書のような明確な利益ではなく、選挙戦を混乱させる「政治的分断」を狙っている可能性が高いという見方が強まっていった。

この時期、米大統領選(2016年)ではドナルド・トランプとヒラリー・クリントンが対決しており、トランプ陣営とロシアの関係を疑う声も高まっていた。ロシアが盗んだDNCのデータは、タイミングを見計らってWikiLeaksなどを通じて公表され、クリントン陣営に打撃を与えた。特に、ゴールドマン・サックスとの関係を示す講演録の流出は、民主党内の進歩派からの信頼を失わせる要因になった。

ハンニガンは、NSA長官マイケル・ロジャースに警告を送るも、返答は一度きり。「他の外国の情報機関も把握している」という冷淡な応答だった。アメリカ側の動きが鈍い中、イギリスは自前のネットワーク侵入能力を活用し、ロシアからの通信を傍受し続けていた。

GCHQはこの時、すでに全世界の海底ケーブルを監視する陸揚げ拠点にアクセスし、数十本の光ファイバー回線から一度に10ギガバイトの通信を処理できる体制を持っていた。英米はこのような通信基盤を背景に、極秘裏にFacebookやGoogleとも提携して、世界規模の監視ネットワークを運用していたのである。

そして皮肉なことに、かつてナポレオン時代に海底電線を初めて敷いた英国が、サイバー時代にもなお、情報戦の最前線に立ち続けていたのだった。

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