北関東の朝に響く若衆の声 一九八五-八六年頃
北関東の初市の受付が始まる冬の朝、八幡神社の境内には全国から集まったテキヤ衆が肩を寄せ合い、静かだが熱を帯びた気配が満ちていた。そんな中、取材者の耳を最初にとらえたのは、若衆たちが交わす短い挨拶だった。「チハッス」「ゴクロサンッス」「オッカレッス」。わずか数音で切り上げるように発せられるこれらの言葉は、日常語に近い音をもちながらも、場の空気を一瞬で引き締める職能的な響きを帯びていた。語尾のッスが鋭く弾かれ、上下関係を心得た柔らかなへりくだりと、若衆としての気迫の両方を同時に立ち上がらせる。著者が圧倒されているのがよく分かるほど、言葉の短さがむしろ力を示していた。
当時の一九八〇年代半ばは、日本がバブル前夜の熱気に包まれつつあった時代で、街には大量消費の兆しがあふれ、地方の商店街が変貌しはじめていた。その一方で、伝統的な市や縁日は地域文化として改めて位置づけられ、テキヤ衆はそこを支える不可欠な職能集団であり続けた。携帯電話など存在せず、連絡や指示はすべて顔を合わせて声を交わして確認するしかない。だからこそ声は仕事道具であり、若衆にとってはとりわけ重要な証明でもあった。短い言葉に、礼、気迫、場の空気を読む力、そして徒弟制度の残り香が凝縮されていた。
若衆の挨拶は、働く身体そのものを示す文化の延長にもあった。夜通し車を走らせ、市から市へと移動し続ける労働環境では、体力と同じくらい声の強さが問われた。声の張りは判断力や覚悟の証であり、余計な説明を省き、必要な情報だけを飛ばす効率性も求められた。そのため挨拶は自然と短く研ぎ澄まされ、同時に仲間内の心理的な距離をあたたかく保つ役割も担った。テキヤ社会には多くを語らず間で伝えるという職人気質が深く根づいており、若衆の声はその文化を象徴するものだった。
初市の受付の列の中でひびいた三つの挨拶は、それぞれが極端に短いにもかかわらず、そこに至る多年の慣習、上下関係、移動労働の厳しさ、そして職に対する誇りが重なっていた。言葉は少ないが、内包する意味は重い。冷たい朝の空気の中で声が弾むたびに、場の秩序が整い、若衆としての存在が形づくられていく。わずかな音のやり取りが、そのまま一つの社会の仕組みを映し出していたのである。
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