東北の影を束ねる者—昭和二十年より五十年にかけての川崎永吉と神農の行方
川崎永吉は東北神農同志会の四代目総裁で、地域のヤクザ組織の調整役として活動した。彼は青森県の浅虫温泉抗争を約七週間で収束させるなど、東北のヤクザ社会で重要な役割を果たした。東北では戦後、博徒系や神農系の組織が根付き、特にテキヤは地域の祭礼や商業活動を支えながら、ヤクザと結びつきを強めていった。戦後の混乱期に関東・関西の暴力団が東北に進出し、地元組織との抗争が激化したが、川崎はこうした対立の調整に尽力した。昭和五十年代以降、全国組織の影響が拡大し、テキヤとヤクザの関係も変化。テキヤは商業活動の多角化を進める一方で、一部はヤクザの下部組織に組み込まれていった。警察の取締が強化される中、独立性を保つのが難しくなり、結果として多くの地場組織が解体または吸収され
ることとなった。
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