Saturday, March 15, 2025

動かぬ岩の選択 ― 農村政治の行方(1977年)

動かぬ岩の選択 ― 農村政治の行方(1977年)

選挙とは、変化を生み出す力だと信じられてきた。しかし、1977年の長野県での選挙では、その力がいかに届かぬものかが改めて浮き彫りになった。

「農村の票は押しても引いても動かない岩のようなものだ。」

そう語るのは、今回の選挙で落選した候補者だった。彼は、新たな政治の風を吹かせようと挑んだが、結局、地域に根付いた保守票の前に敗れ去った。

長野県は、全国でも特に選挙区の特性が強い地域だった。ここでは、「誰が候補か」よりも「どの家がどの党を支援してきたか」が重要視された。家々の屋根を見れば、そこがどの派閥に属するかがわかるほどで、個人の政治的意思はほとんど意味を成さなかった。

「結局、それが戦後政治の土台となり、今の政治をも支えている。」

戦後、日本の地方政治は、大地主層の崩壊とともに変革を遂げるかに見えた。しかし、実際には新たな政治的構造が形成され、旧来の支配構造に取って代わるものではなかった。特に農村部では、保守的な価値観が強く、選挙における浮動票の割合が極端に少なかった。そのため、新たな候補者がどれほど魅力的な政策を打ち出しても、地域の根強い支持基盤の前では無力だった。

「この土地で生き、この土地で死んでいく。」

農村の若者たちは、都会の流動的な社会とは異なり、終生同じ地域で暮らすことを前提としていた。そのため、新しい政治への関心が低く、変革を求める声が広がることはなかった。選挙とは形式的なものであり、結果はすでに決まっているかのような空気が支配していた。

それでも、候補者はあきらめなかった。

「自由な票ばかり広く集めて当選したって、決定的な力には絶対にならない。」

都市部の浮動票を集める戦略では、地方の選挙に勝つことはできなかった。変化を望む者にとって、農村の政治はあまりにも頑強な壁だった。

この選挙の結果が象徴していたのは、単なる一つの敗北ではなかった。それは、日本の地方政治が持つ根深い構造の問題であり、戦後から続く「動かぬ岩」としての農村の選挙文化だった。

そして、この停滞の中で、政治の流れを変えることの難しさを改めて思い知らされることとなった。

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