Monday, February 24, 2025

夜を裂く刃 ― 1961年、山陰���行列車殺人事件の記録

夜を裂く刃 ― 1961年、山陰夜行列車殺人事件の記録

1961年10月4日、山陰本線の夜行列車内で、本多会平田会鳥取支部の組長・松山芳太郎が、山口組・地道組傘下の山陰柳川組に襲撃され、刺殺された。原因は境港市へのパチンコ店「銀座会館」の出店をめぐる対立で、松山が強行したため、交渉が決裂し、山陰柳川組が武力行使に踏み切った。

当時、日本は高度経済成長期で、暴力団は娯楽産業の利権を巡る争いを各地で繰り広げていた。山口組は全国制覇を進めており、この事件は山陰地方支配の転換点となった。松山の死後、本多会は衰退し、山陰柳川組が支配権を確立。これにより山口組の勢力が広がった。

この事件は、その後の広島抗争(1964年)や第一次頂上作戦(1970年代)へと続く暴力団抗争の発端となり、後の日本の裏社会に大きな影響を与えた。

No comments:

Post a Comment